小杉健治『法廷の疑惑』を読了しました。せっかくレアものを100円で手に入れたのでね。ミステリとしては非常にしっかりしていますし、社会派小説として、少ないページ数に重いテーマをこれでもかと折り込みつつ、エンターテインメント性が失われていないのは見事だと思います。

 基本的に娯楽小説に対して「リアリティがない」との批判は的外れだと思っているのですが、明らかに社会派を意識している作品については、その問題意識が全く誤っているというのは問題ではないかと。とにかく、300頁強の小説でありながら、突っ込みどころが満載です。

 ひとまず、以下の点は目をつぶってよいと思います。
 刑事裁判の証人尋問の中身がめちゃくちゃ。証人尋問は、証人が経験した事実に関して質問をして答えてもらう手続だという根本を、著者が全く理解していないのは明らかで、これが法廷小説の大家とされる人の作品だというのもどうかと思いますが、小説の中身の面白さには影響がないので。

 さて、本題。ネタバレ未満の前置きとなる事実関係として、この小説の設定は以下の通り。
 運送会社の従業員が業務でトラック運転中、横断歩道でない場所を横断する女性を轢いてしまう。女性は脳にダメージを負い、開頭手術を受け救命されるも、植物状態に。娘はつきっきりで介護をするが、運送会社は既に示談成立を理由に追加の賠償を拒絶。やむなく運転手個人へ請求すると、責任を感じた運転手の両親は土地を売るなどして賠償するが、被害者はなお困窮。実刑判決後に出所した運転手は、巨額の賠償が残ったことに絶望して強盗を働く・・・
 というのが大まかな導入部。植物状態になるリスクが高い患者に手術を施すべきか、安楽死の可否等々の医療面の問題意識も絡むのですが、法的部分の疑問点が尋常じゃなく多い。

・会社との間では植物状態が確定する前に示談が成立したことになっているが、ずっと意識不明の被害者との間で、いかにして示談が成立したのか。

・植物状態が確定したのは「事故後6ヶ月」との設定だが、症状固定前、治療中にどうして示談が成立したのか。

・後遺障害等級認定手続が完全に吹っ飛んでいる。

・会社の渉外担当が示談を成立させたことになっているが、任意保険への加入がある前提(本文で該当箇所確認)なのに、保険会社の担当者がどこにも出てこない。

・植物人間の問題は自賠責保険でも任意保険でも解決ができない不幸なことだ、と弁護士が嘆く。

 加害者の親が責任を感じ、土地を売ってでも賠償する、というのが百歩譲ってあり得るとしても、著者が感じている問題意識が根本的に誤っていますよね(この程度の事故で初犯で実刑になるかとか、心証をよくするために保釈を求めない弁護方針とか、まだまだ細かい疑問はありますが)。
 昭和60年代の小説なので、法や保険の仕組みが今と大きく違うということもないはず(示談代行制度の導入時期とか、念のため調べました)。判例の引用とか公訴事実の書き方とかは結構うまいので、自分の専門外の事柄に関して、文献は読むけれど他人に聞くという作業をしない人なのでしょうね。
 この小説って、医師が読んだらさらに大量の突っ込みどころがあるのだと思うのですが、ミステリとしてはそれでも面白いです。